2014年12月26日

かんぺいさーん

何もわからないけど体も心もひらいて無垢に寄り添うことと、何が起きているか理解できて近づこうともするけれど最終的には突き放す(絶対的にそうせざるを得ない)こと、これってどちらかを選ぶことなんてできるのかな。自分もだけど、相手も。どっちにも振り切れないわたしがいるのはわかる。でもむしろこの二つは現れのある時点をただ指し示したに過ぎなくて、どの程度想像しようとしたりと思いやりをもちまたそれらを発揮できるか、の方に相手は反応するような気もするなー。もっというとそうしようとしてる姿が見えるだけでキュンとしちゃうとかもあるかもなー。
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2014年12月05日

忍認

つい先日フィルメックスで幸運にも見ることができた蔡 明亮(ツァイ・ミンリャン)監督の『西遊』のようなことを全然違う方法でやるようなこと。共通点を明確にとりださなくちゃ。

あーもう、身体でわかっていることが、なんで他の人に伝わりやすい言葉で言語化できないんだろう。そのための技術と心意気と根気がもっといる。頭の言葉と身体の言葉が全く別言語でしゃべりあってるのが超わかってんだけど、うっかり一つの身体の中ではがっちり握手とかできるからまあいいやとかすぐゆるしてんだな。道のりとおいわ。ぐぐぐぐぐぐぐぇ。そこの回路をもう少し調節できるようにしたい、そうだ、むしろそれだ。と、どのボタン押せばどうなる、みたいな身体の扱い方をもっと知ること、と、調整できることを調整して、しなくていいことは野放しにしても帰って来れる体力と操作性を身につけること、つまりは楽器を磨くこと、弾く練習をすること、この楽器が何を言ってるか、弾く人としてなるべく素直に伸ばしてあげるような扱い方をすること。また比喩みたいになってるけど、そうやってパートナー的に一つの身体を扱うことなんだよなーって、それを実践することなんだよなーってこと。そういうもの、でもあり、そういうこと、でもある、それが同時に、あるいは、そちらとこちらを行き来する、その往還、この言葉マイブームなのです、往還。何の稽古するか、扱い方をもっと知ること、扱われるものの術を伸ばすこと拡げること、実例に応じて、ということとか。これを具体的にした上で、実行して、続けること。

つって、今年起きたことを繋げようとして焦りすぎて急ぎすぎていた。むしろ次々と河岸を替えるのではなくて、そんなインスタントなことではなくて、もらった種がちゃんと根付くように肥料や水をいい感じに与え続けることこそが自分へも、手渡してくれた人へも、その次を待っているかいつか会える人への責任だと思う。責任は重いしこう扱うこともまた重いけれど、あくまでも前向きな、むしろ背中押してくれるし手も引いてもらえたみたいな明るい心持ちでいる。で、それをどこでどうやるか、ってことなんだけど。にんにん。
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