2015年02月27日
きんきょう
だらしなさとか不安との付き合い方はもうずっと続くものだということは少し脇に置いたとして、圧倒的にこの時期に必要な量が不足している事実があって、それをずっといつも知っていてなおその事実が続いているということは環境と習慣を適うものにかえる必要があって、かつ、その時には場所の確保と、同時に手伝ってくれる、一緒に付き合ってくれる人が必要であって、例えばそれを一発で叶えるのに一つにはお金を払って得たり、既に整ってあるものに参加したりするわけだけど、それもまた合理的であるし、私とかすぐそれでもいいんじゃん別にって安易に思うのだけど、楽してるんじゃないのと言われればそうだねと納得し、お金は無尽蔵にあるわけもなし、となれば限られた資源と状況で工夫をするより他なく、だからまずは可能性がありそうなお方にとって、良いな、嬉しいなって時間になるであろう提案を10も100も考えて1000行動するより他ない、他ない、とかなんかネガティブに響くけど、地道にそうしてきたのだよなあ、先人たちは…。すげえなあ。