親友がかなり前のめってる。ありったけの力と友情で彼を見送るのだと前のめりに突っ走っている。つんのめってこけないか気になる。きっと彼に笑われるよ。彼の代わりに彼女を見守っているように思える。彼女を介して、彼と私の立っているところが近づくことに気づく。なおさら、彼を身近に感じる。
2019年09月26日
i got that
大事な人をはさんで、大事な人の大事な人につながる気がしてる。ものすごく早く、身近な人の身に起きたこととして聞いたからかもしれない。会ったことはない。会えたかもしれない。愛されていたのがわかったから失われたことが惜しいのではなく。人から愛されていることにより、それぞれの人と彼との記憶がにじんだ言葉とその裏側にあるであろう大きな大きなあたたかいイメージにより描き出される彼の輪郭が立体的で、そして映画の中に、写真の中に。記録に残されていることからさらに思い描けることもあって、こんなにも立体的なことってそうそうないからだと気付いてきた。
2019年09月25日
I (wanna) hear you
親友の親友が亡くなった。会ったことのない彼のことを私は1日中考えていたし今も。あだ名しか知らないその人の話をこの夏彼女からたくさん聞いていた。最初の一報で、彼女は彼の名前を言わなかった。それでも、彼のことかもしれないと思った。1日あけてSNSで訃報が流れてきてそうだと知った。仲間たちの、彼を悼む思いを託された言葉をたくさん読んだ。言葉から、行間から、余白から溢れる記憶、気配、悔しさ、寂しさ、愛情が泡のようにたくさん浮かぶ。愛されているとわかる言葉しか聞こえてこない。泡玉は浮かんで消えない。はじけない泡玉もあると知った。このまましばらくは彼をよく知っていた人の周りに浮かんでいるだろうと思う。そのままきっと、消えずに残るものもあるかもしれない。彼女は心配していた。優しくて少し寂しがりやの彼が迷子になっていないかと。どこにいるんだろうと呟いた。彼女に、彼は方向音痴かどうか尋ねるとそうでもないと言った。だから大丈夫だと言った。大丈夫だ。