2019年12月06日

開いて閉じる

和解なんてありえなさそうな加害・被害の事例を読んで、じゃあどうやったら解決なんだろうできるんだろうかそれ、とか考えて、やっぱ答えにたどり着けなさそう、解答方法がわからないときつーのがある。どうすんのがいいのか。過去に傷つけた行為とその後の時間について謝って、相手がその謝罪を受け入れたら終わるのか。終わればいいのか。ただ終わらずに気にし続けることがいいのかといえば決してそうではないし、過去の加害を未来永劫責め続ければ正解なのかと言われたらやっぱりそうでもないと思う。過去の間違いで永遠に未来の可能性を奪うことは誰のためになるのか。ただ、だからといって水に流して何もなかったかのようにするのも違う。起きたことは変わらないし、傷ついたことは変わらない。それを結論にしない。傷は治ってもかさぶたや埋めようとして皮膚がでこぼこする。新しい皮膚にはシワがまだない。付き合い続けることから始めるより他ない、という暫定的な結論にしか、まだたどり着けない。でも同時に、このことが実践されることさえままならない状況が、あまりに多いということにも思い至る。変化とともに生きるという過程に、渦中にい続けることがひとまずの過程。ただ、ずっと同じ荷物を背負い続けていたとしても、その重さを、少しずつ軽く感じることはきっとある。隣を歩く人が手伝ってくれることもある。声を出すことで張り詰めていた圧が少し和らぐ、たとえばそういうことで。荷物が軽くなると、足取りも軽くなる。下を向いていた顔も、前や、上を向くかもしれない。そっからはじめて、続ける。道は延々続く。一本道ではない、細かったり広かったり複雑怪奇だったり迷路のようだったりまた同じ交差点に出たりする。ただ歩く。待つ。止まる。休む。また動く。扉は開いてはまた閉じる。
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」(『方丈記』)
posted by hamigoe at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記