2014年07月14日

めもめも

記憶は体の外にある。相手との間に、誰かの中にしかない。私の外に、記憶が残る。私と彼との間に。私が、私だけでもっていると信じる存在は、不確かだ。誰も証明することはできない。何かを証明することなど、誰にもできない。証明するには、証明を、信じる人が必要だ。だけど、信じる人が証明の材料に足ると、誰が証明できるというのか。結局、信じることは、信じる人以外にとって、存在の証明にはならない。強い意思が引き継がれることはある。そうやって、歴史は続いてきた。これはレトリックではないけれど、ただの言葉遊びだ。ただのお喋り。もしかするとベケットさん的な、唯一残された、人間のそれ。けれど、ふがいなく、頼りない存在を確かめるには、私の言葉を聞く人が要る。なぜなら「存在感」は私と貴方の間にしか、生まれないから。存在を自分で持っていることはできる。けれどそれは信じることができるということに過ぎないから。貴方が変わったということでしか、私がそこにいたことを証明するものはないから。その時だけ、おそらく確かに、世界はあったんだから。
必要なのは、善意や善良さではなく、正確に知ってもらうこと。知った上で、そこにいてほしい。私の前で、私を見て欲しい。そして、ようやく、私はもっと見たいと欲する。欲することができる。
posted by hamigoe at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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