2014年07月15日

宇宙的の中にいることをめぐる話

昨日の某JEL撮影の合間や後に諸々話していてあれこれヒントになる話がたくさんあったんだけれど、なんであんな演劇やこんな演劇を見て、素直に面白いと思えないんだろうかという長年寄せては返す自分への疑問について、他の方法を選んでいる芸術家の一つの回答で納得。そうなんです、きっと私もそれに憧れてるんです、というもののそれをめぐる話に興味津々。http://www.cinra.net/interview/201407-me?page=4

あと、逃走、というのもなるほどにゃむ。勝手にまとわされる「意味」からの逃走とか。それをまとわされやすいことで植え付けられた反抗の精神とか。いくつか、それでもそれでしか有り得ないなあと思える世界に落ちていた言葉が、「意味」を逃れてそこにぽとんと落とされる時。それを間において、舞台から拡声器で宣言を続けながらvoidを見つめる猫さんがイントレの間に立っていたときの「存在」感(PortB『雲。家。』初演ですね)とか、宇宙的なブラックボックスでアンパン食ってた内田さんとかの「物体」感とか(たぶん2006年頃の地点『Jericho』ですね)とか。Zero Degrees の、二人のシンクロニシティと、アイデンティティの揺らぎと人間という「物体」が、この宇宙にあることとか。やたらめったら記憶を引っ張り出して混ぜ返す。思い出す。
posted by hamigoe at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/101713055
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック