2014年11月09日

優しい手の話、その1

つい今週のことです。一つの場所が結びの時間を迎え、もう少し長いスパンで長い距離を走り続けている時間が、離陸前のいよいよ大詰めの時間帯を迎えています。映画ではいくつかのタームがあって、それぞれに大詰めやな、という時間帯があるのですね。そのうち、今は撮影期間中とは違う大詰め感で、どちらかというと地味にこたえる(答える/堪える/応える)タイプの時間帯。大詰めとはいえ、すべてがstuffedされたところで素晴らしい大空に飛び立てることが約束されているわけではない。大詰めって何よ、と別の場所であった人につっこまれてうーん、確かに何だろうこの大詰め感、とか思いもするし、夜中に2、3人で延々走ったり撮り直したり頭抱えたり困った顔したり苛立ったりハイ/灰になったり、沢山の人の役に立つようなすごくいいことだけをやってるわけじゃないし、これまでどこか、特権的な優越感を抱いていたこと、そのかっこわるさも首をしめる。精神的な体力的な底を見ることは毎日ではないけど、この密度なら忙殺ってありえるかも、でもまだギリいけるか自分よとか身体とこっそり会話したり、1番いいたくない時間帯で1番いいたくない相手にキツいと表明してしまったり(それは大事なんだけどやっぱり苦しい、でも修復)、有り体に言えば、色々な軋轢や葛藤が細かく細かく頻発してきたし、今もしている。
でも、ちゃんと寝ればあっさりと回復する。多少バランスやチューニングが乱れても起きれる。体力ついてきたのかもしれない。
昨日Eテレの『漫勉』で、漫画家さんたちの精緻な手つきや迷いや葛藤するペン先が面白くて見入った。作業する手は美しい。柔らかくて優しい。いま作っている映画の、円の中心にいる方のみならず、それぞれに関わる一人一人の生々しさや疲れた顔、それでも集まったりできることをできるだけ、と差し出されるその手の優しさよ。この優しさは、質とは直結しないとしてもだよ、存在感そのものになっていくんだよ。何度も何度でも、これに掬われている。最近、本当に優しい手ばかりに会う。きっと手の本人はそんなことないよ、って言う人ばかりだけど、いやいや、知ってるんですよ。そうじゃない手もいっぱいあるし。私宗教家かもしれないけど、毎日感謝してばかり。ありがとうございます。
posted by hamigoe at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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