2019年11月14日

推しの話

可愛さ余って憎さ百倍なわけはない。可愛さが憎しみの起点のわけがない。可愛さはお前自身に向けられてんだろ。他者としての私がかわいいわけじゃない。「可愛さ」は、執着の対象としての起点でしかない。憎しみは、自分のことを邪魔することに起因する。お前のことを好きだ大事だと言いながら私の足を引っ張るのは私のことが可愛いから心配だからお前を思っているからではない。いい加減にしろ。私が捨てられないのを知っていて、蹴りとばせないのを知っていて、その腕をぶった切れないことを知ってて、私の足を掴んで引きずり倒そうとする。その人にとって私は「その人のもの」だから。自分が、支配する支配できる存在であるはずのもの、自分に付属するもの。その付属物ごときが自分をみじめにさせる、貶めるような振る舞いをすることがその人は許せないのだ。そこにあんのは他者への愛なんかじゃない。お前のお前自身への愛でしかない。ウロボロスだろ。自分の円環の中で閉じてぐるぐる抜け出せないくせに縁の中に入れてさえないくせに、原因だけ他者のせいにするなんていい加減にしてほしい。目の見えていなさ、気づいていなさもいい加減にしてほしい。
じゃあなぜ私からは捨てられないのか。嫌な人間になりたくないからだ。冷たい人間になりたくないからだ。人間としてそれでいいかって軸を持ち出してしまう。それが大きい。でも実は同時に、というかもっとそれ以上に切実に端的に愛されたくてたまらないから。あなたに愛してもらうことを諦めたくないから。

愛していたら、きっと永遠の、その人の幸せを願うでしょうよ。それしかできないんだから。祈るしかできないんだから。そら自分がそれに関われたら最強だよ。でも、相手が自分を知っても知らなくても、この世界にその人がいてくれてよかったと毎日思う。この世界にその人が生きてることがただ喜ばしく、その人自身の幸せに向かい歩んでいること、煩悶しながらそれを支える人が身近にいてくれるならよかった、それが私でないのは残念な気がしても、それでも、それでもやっぱり素晴らしいよね、おめでとうよかったまじで、って祝福する。その方がかっこいいとか世間体とかそんなん糞食らえ。むしろ結局それしかできないと思い知っているからだよ。「片思い上等」とかそりゃ葛藤しながらもはっきりと宣言する少女漫画の主人公たちは、だからやっぱり好きの一つのきらめきを生ききっていて、私・たちの中にもあるそういう最強の極北の星を捉えているからそうそうそうだよねやっぱりそれそれそうなるよね。それこそ最強なんだよといつでも思う。

年下の友人たちに恋爛漫の季節がやってきてもうすぐ本格的な冬。高校の授業で去年、推しの話を毎週熱心にするうら若き乙女が本当に素敵だったな。推しにいいことがあったから今日は私も幸せです。毎週会うたびになんて素敵なの、って答えてたけどほんとにそうよ。笑顔でそういうあなたがマジで素敵よ。大好きな人が自分の中にいて、その像は変わりながらもずっとともにある。そうなるように自分の気持ちも大事に育てている。その喜びを知っているあなたが。
posted by hamigoe at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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