2019年11月23日

かもんとしのせ

ああいう人物造形ができればずっと楽しいだろうなと思う物語がある。私の中にいる、その人にずっと話しかけてしまう。自分が生み出したその人は、自由に振る舞う。自分がいなければ生まれなかったこの人。でも、自分に先行して生まれてしまったこの人。あんな理想的なキャラクターをかけるなんて羨ましい。私は何でならば、そういった人を創作できるのかなあ。人が仮託できる何かになれるのかなあ。仮託。ことよせること。かこつけること。
小さいころはただ物語の内側に潜ることが自分を掬うすべだった。だんだん、方法が気になって、一番最強なのはなんだろかって発想とコンプレックス、現実での貧相な体と肥大し続ける妄想から極端に現実に弱すぎることを憂えて、やっぱ現実にダイレクトに働きかける表現が一番すげえって思い込んでしまったよな。そういう風に生きざるを得なかったよな。あのときいや、頭の中の宇宙の方が最強じゃねえかって振り切っていたら、今頃その方向で進んでいたんだろうかしら。今私が選んでいるようなことは、選ばれていることなんだろうか。
とまれ、
その人が抱えてきた何かを描けるならば、その方法がいい。歳を重ねれば重ねるほど、ただ立っている人を見るだけでその人がくぐってきて、抱えてきた色々な経験や時間が見えるようになる。ただ立っている人がそこにいるだけ。否、厳密に具体的には見えないのだけど、重ねてきたうすごろも、羽織っているものがありそれが無色透明なんだが色とりどりに見えること。それだけですぐ泣いちゃうわ。歳だな。
posted by hamigoe at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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