2008年11月24日

ひらいてみる。

カエターノ・ヴェローゾがいい声ですべてを詩にしてしまうからといって、私がそうであるとは限らない。「いま」そうでないだけであって、これからそうなることはできる、という期待を持つことはありえなくはないけれど、それは一つ、ありえなくはない、という視点を残しておきながら、になるのは私の特性なのか、それとも時代の特性なのか、それとも「夢を見てる」といわれる誰もがそうなのか。

視点を残しておきながらも、だけど続けたいのは、もっともっとそれにかける時間を作りたいのは、もっと「つまらせたい」からだし、もっと「オン・ザ・ロード」したいからである。未知への路上。路上で、それは行われていく。既知のものだけを話題にしたくないのだった。私がいま仕事を、少しでも興味を傾けてできるのは、たぶんに未知の部分が私にとって残されているからだった。常にそれは残されるのかもしれない。だけど、そこでは、既知の話題を持ち出すことの方が占める割合が、きっと減らないと思うのだ。それも、いまは、なのかもしれない。その限りは続くのかもしれない。
あまり全面的にそのとおりに外側からは見えないかもしれないのだけど、こってり芸術みたいなもの(他に書きようがないのが、いまなお私の問題)を信じている。いまはこの先に続く言葉が書けない。それでも書いている人はいるのだった。それでも書きたいのだった。「書きたいんだからしょうがないじゃないか、」で片付けてたまるか。

にしても、ポルトガル語は魅力的な言語だと感じた。カエターノを聴いたからでもある。やわらかい空気を多分に含んだ風みたいだ。
posted by hamigoe at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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