他人の言葉をいれると、自分のものではない記憶を思い出せたりする
言葉、を、フレーズ、といいかえてもいい、あらゆるフレーズ。
言葉は大きい
他者の記憶が生まれる、その悦楽のために、おそらくわたしはなぞる
何かを表現するよりもずっと手前にある、ごく個体的な、たのしみ、よろこび。
そのたのしむわたしから、現れたフレーズから、他者が、記憶を想起するといい
不可視だったはずの、そこにあるイメージ。
それいいな。
わたしをみにきた、といってもらえなきゃだめだな
2008年12月03日
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はがきをいただいたのが前日だったので、
覚悟ができず行けませんで。
この記事、観た当時に
非常に感嘆したもので、
しおり代わりにはさませてもらいますね。
ほほほほほ。
こちらこそ、ご案内が前日、という体たらく、
大変失礼いたしました。
今年はお忙しくなるとのこと、きっとごぼうのように
お痩せになるのでしょうね…(涙)
今度は余裕を持ってお送りいたしますので、
またどうぞお時間の許す折には冷やかしに着てくださいまし。
お身体、ご自愛くださいませ。