2014年03月01日

手癖発動中

アウグストザンダーの写真を見るとものすごくいいなあというのとこれがやりたいんだよなあって思うんですけど、俳優として主体的にその実体でいてやろうとするってことよりも、それを見たいって欲の方が強いなあと今見て思う。俳優ならば、こういう風にいてやろう、それにはどうしてやろうとまず考えたいところなのだけど、すなおにやーこれは素敵だ、すごいなあ、存在って奴は、と思ってしまう方が自分を閉める割合はおおい。
というのと、この写真に映された人を俳優が主体的に目指したとしてそれって100%可能なのか。特定の先輩俳優を思い浮かべると、ああできる人いるなーたぶん99%肉薄しそうな人いるなーと思うのだけど、それってでもそこには一枚「俳優」という像がやっぱりあるのではなかろうか。つまり俳優自身の像とある人/役の重なり、あるいは自分自身と、描こうとする対象/役/存在が完全に分離できないものというのが、俳優というものの面白さであり、厄介さだなあと思う。10年くらいまえは潔癖だったので、その厄介さは邪魔でしかないと思っていたけど、もう少しそれも面白いなあ、それも楽しみの一つだなあと思うようにもなってきている。
そんなこととは無関係に、アウグストザンダーの写真はいつ見てもいいなあ。
posted by hamigoe at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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